1878~1911

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明治10年ヨリ11年ニ至ル 冬半期学科表
「医学部第五年報」

解剖教場図

別課医学教場

「医学部一覧 明治13~14年」

医学部全図

生理学・衛生学・薬物学・医化学教室

病理学標本室

解剖実習室

外来診察室

78
(明治11)
3月製薬学の本科より9名が初めて卒業する
6月書籍展覧室を新設する
79
(明治12)
5月通学生が初めて卒業する 医学31名 製薬学20名
10月医学本科生が初めて卒業し, 18名が医学士となる
11月医学士となった清水郁太郎, 梅錦之丞, 新藤二郎が
ドイツへ国費留学する
80
(明治13)
10月医学通学生を「別課医学生」と改称する
この年, 小金井良精ドイツへ留学する
81
(明治14)
4月シュルツェ 退任
6月スクリバ 来任 外科の講義を担当する
83
(明治16)
1月ドイツより帰国した清水郁太郎が産婦人科を
梅錦之丞が眼科の講義を行う
85
(明治18)
4月別課医学生と製薬科学生の募集を停止する
6月小金井良精がドイツより帰国, 9月より解剖学の講義を始める
86
(明治19)
3月帝国大学と改称 東京大学医学部は帝国大学医科大学
となり, 大学院が新設された
「綜理」を「学長」に改める 初代医科大学学長は三宅秀
87
(明治20)
 ヨーロッパ留学より帰国した 三浦守治(病理) 青山胤道
(内科) 佐藤三吉(外科) 下山順一郎, 丹波敬三(薬学)
らが教授に就任する
88
(明治21)
6月別課を廃止する
93
(明治26)
9月帝国大学令により講座数が定められ, 医学科20講座 教授17人
薬学科3講座 教授3人(両科ともすべて邦人)となる
小金井良精が学長就任
97
(明治30)
6月東京帝国大学医科大学と改称される
01
(明治34)
9月スクリバ 退任
青山胤通が学長就任
 11月外科教室・手術室が竣工
02
(明治35)
1月生理学・衛生学・薬物学・医化学教室が竣工
3月外科病室4棟が竣工
 7月ベルツ 退任 在職期間は26年に及ぶ
04
(明治37)
6月病理学教室・病理解剖室が竣工
0611月解剖学教室・法医学教室が竣工
07
(明治40)
8月薬学教室が竣工
106月付属医院外来診察所が竣工
11
(明治44)
3月付属医院薬局が竣工