1868~1877

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大学東校上野移転計画図

「学校履歴」
明治元年から9年まで
を記録したもの

ボードイン
「日講紀聞」

ミュルレル、ホフマン
「医科全書」

ベルツ
「鼈氏診断学」

ベルツ
「内科病論」

68
(明治元)
7月横浜の軍陣病院を下谷藤堂邸に移し, 医学所を含めて大病院と称する
69
(明治2)
1月相良知安, 岩佐純が政府の医学取調御用掛に任命される
ドイツ医学の採用に力を尽くす
 2月医学校兼病院と改称, 5局(医学校・病院・種痘館・黴毒院・薬園)とする
 6月相良知安がドイツより教師を招くことを建議し, 2名を招請することとなる
 8月人体解剖の必要を建議し, 容認される
 12月大学東校と改称
70
(明治3)
5月政府は大学東校の上野移転を決定する
7月ドイツ人教師ミュルレルとホフマンの来任が普仏戦争の影響で
遅れたため, 大阪医学校教師の任期を終えたボードウィン
(オランダ)に講義を委嘱する
上野移転の計画をボードウィンの反対により中止する
 10月ボードウィン 退任
 閏10月学則を制定し正則 5年と変則 3年を置く
 11月ドイツ医学修得のため池田謙斎, 大沢謙二, 長井長義ら9名が国費留学する
71
(明治4)
7月東校と改称, 文部省の所管となる
8月ミュルレル, ホフマン が来任 外科学, 内科学の講義を行う
ミュルレルに日本の医学教育制度構築の全権をたくす
 10月学制を大きく改革し, 予科3年 本科5年とする
 11月種痘館を廃止し, 東校に種痘局を開設する
72
(明治5)
7月学制を予科2年 本科5年に改める, 毎年9月入学とする
8月学区制に伴い第一大学区医学校と改称
73
(明治6)
6月製薬学教場を置く, 予科2年 本科3年とする
7月デーニッツ 来任 解剖学の講義を担当する
74
(明治7)
5月東京医学校と改称
8月ミュルレル, ホフマン 任期満了
(帰国する翌年11月まで天皇の侍医を務める)
 10月長与専斎が校長に, 本郷への移転を建議する
 12月シュルツェ , ウェルニヒ 来任
75
(明治8)
5月通学生教場医学3年 製薬学2年を置く, 年2回入学で
講義は邦人教師が行う
76
(明治9)
6月ベルツ 来任
11月本郷に校舎病院の建築が完成し, 移転をする
ウェルニヒ 退任 後任のベルツが内科学の講義を担当する
77
(明治10)
4月総合大学としての東京大学創立  医学部綜理には池田謙斎
本科の邦人教授陣は田口和美(解剖学) 大沢謙二(生理学) 三宅秀(病理学) 樫原清徳(薬剤学) 桐原真節, 赤星研造(外科総論) 柴田承桂(製薬学)